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縦約105cm・横約94cm 珍しい屏風図と思われ、今では大変希少価値性もあると思われます図そのものの大半には傷や汚れは影響していないと思われます。物故者記事>水田硯山没年月日:1988/09/07 分野:日, 画家 (日) 日本南画院顧問の日本画家水田硯山は、9月7日午前7時15分、心不全のため京都市左京区の自宅で死去した。享年85。明治35(1902)年12月14日大阪市に生まれ、本名美朗。南画家水田竹圃は兄にあたる。大正6年竹圃に入塾し南画を学び、また藤沢南岳に漢籍を学ぶ。翌7年京都に移ったのち、10年第1回日本南画院展に「雲去来」が入選。11年「山村暁霧」を出品し、日本南画院同人に推挙された。12年中国に旅行し、同地に取材した「紅葉山館」「寒江渡舟」を同展に出品する。また帝展でも、11年第4回帝展に「秋二題」が初入選し特選を受賞。13年第5回帝展に「一路湿翠」「春江暁潮」を出品したのち、14年同第6回帝展「雲散」「水肥」、昭和2年第8回「朝」が再びともに特選となる。翌3年第9回帝展「幽谷」以後、帝展無鑑査となり、帝展に5年第11回「霜林」、7年第13回「桐江新翠」、8年第14回「秋壑雲封」、9年第15回「飛鳳瀑」などを出品。また新文展、日本南画院展にも出品を続けた。南画に後期印象派の画風を加味した山水を得意とした。16年大東南宗院委員となり、戦後日展に依嘱出品する。33年菁々社を創立する一方、35年日本南画院の再興に参加。同展で、同35年「樹」が日本南画院賞、36年「秋」が文部大臣賞を受賞し、35年同院理事、38年監事となった。50年頃より視力が衰え、近年は制作から遠ざかっていた。出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(268頁) 登録日:2014年04月14日 更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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>水田硯山
没年月日:1988/09/07
分野:日, 画家 (日)
日本南画院顧問の日本画家水田硯山は、9月7日午前7時15分、心不全のため京都市左京区の自宅で死去した。享年85。明治35(1902)年12月14日大阪市に生まれ、本名美朗。南画家水田竹圃は兄にあたる。大正6年竹圃に入塾し南画を学び、また藤沢南岳に漢籍を学ぶ。翌7年京都に移ったのち、10年第1回日本南画院展に「雲去来」が入選。11年「山村暁霧」を出品し、日本南画院同人に推挙された。12年中国に旅行し、同地に取材した「紅葉山館」「寒江渡舟」を同展に出品する。また帝展でも、11年第4回帝展に「秋二題」が初入選し特選を受賞。13年第5回帝展に「一路湿翠」「春江暁潮」を出品したのち、14年同第6回帝展「雲散」「水肥」、昭和2年第8回「朝」が再びともに特選となる。翌3年第9回帝展「幽谷」以後、帝展無鑑査となり、帝展に5年第11回「霜林」、7年第13回「桐江新翠」、8年第14回「秋壑雲封」、9年第15回「飛鳳瀑」などを出品。また新文展、日本南画院展にも出品を続けた。南画に後期印象派の画風を加味した山水を得意とした。16年大東南宗院委員となり、戦後日展に依嘱出品する。33年菁々社を創立する一方、35年日本南画院の再興に参加。同展で、同35年「樹」が日本南画院賞、36年「秋」が文部大臣賞を受賞し、35年同院理事、38年監事となった。50年頃より視力が衰え、近年は制作から遠ざかっていた。
出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(268頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)